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お墓の形の歴史。時代と共に進化してきたお墓の未来。

コラム

みなさん、お墓の歴史はどのぐらい古くからあるものか、ご存じでしょうか?
今回はお墓とそれに伴う故人の弔い方の歴史を見ていきたいと思います。

実はこのお話、かなり深い歴史があるのです。
大昔のネアンデルタール人達はすでに埋葬の習慣があったそうです。
洞窟内に何体もの埋葬された人骨が発見され、さらに故人が使用していたと思われる副葬品も納められていたことから、故人を弔うというためであることは確実なようです。
日本の場合は最古では縄文時代から。

その後3〜4世紀の頃は皆さんご存じの古墳が登場する古墳時代に入ります。
一部の王家や豪族のみが許された豪華で巨大なお墓である古墳。
その頃の一般の方は縄文時代とあまり違いはなかったそうです。
そして645年の大化の改新で薄葬令が出され、古墳文化がなくなっていきます。

その後平安時代からは仏教の影響が強くなり、貴族の一部などの特権階級は火葬が主流となっていきます。
これが鎌倉時代に入った頃に庶民の間にも浸透し、全国的に火葬が主流となります。
ですが、火葬後のお骨を土に埋めるだけで墓石や墓標はなかったそうです。


面白いことに江戸時代には再び土葬が主流へと戻ってきます。
人口密度が高かった江戸、火葬の際に出る煙と匂いに悩まされていたそうです。
そしてお墓の場所を示す意味で土饅頭という土を盛ったものが作られるようになりました。
武士のお墓は板塔婆、石塔婆が立てられるようになり、それが庶民にも広がって卒塔婆や墓石という形が完成していきます。

ですので、現在のお墓の形というのは、江戸時代にできあがったもの、ということになります。

そして明治時代になると都市部の地価が高騰したことがきっかけで火葬が一般化。
宗派を問わない霊園タイプの墓地も作られるようになってきました。


現在では伝統的な日本式の墓石だけでなく、横型のものも一般的な形の1つとなってきました。
私の祖母は大正生まれですが、自分で墓地も墓石も選んで来ました。
選んだのがなんと、横型の洋風なもの。 ハイカラさんだった祖母らしい選択でした。

このようにお墓の歴史は人々の暮らしに合わせて大きく変化してきました。
そしてこの50年ほどで大きく生活が変化してきています。
都市化がさらに進み、核家族へとなっていった日本。
企業も複数拠点へと広がっていくことで転勤も多く発生するようになってきました。

この生活様式の変化に合わせ、お墓の形も変わっていくべきと私たちは思っています。

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